歴史を。
祖父が若い頃の写真を見せてもらった。
父方の祖父なので、自動的に子供の頃の父親の写真も眺めることになった。
祖父の父親はアルコール中毒だったそうだ。
祖父は自分の父親の写真を見つける度に「ほら、これがアル中」と、楽しそうに見せてくれた。
祖父はとても顔が良く、どの写真も祖父が写っているだけでとてもいい絵に見えるぐらいだった。
写真を見るのはとても楽しかった。
でもそれと同時に嫌な気分にもなった。
何気ない日常の風景や、成長の記録の写真を沢山見ていくうちに、人の人生とは、家族の歴史とは、とても尊いものだと感じたからだ。
写真の中に愛を感じた、人が生きていた証拠だった。
家族が共に生き、暮らしてきた証。
心が満たされるような優しい感覚を覚えた。
でもその感覚を拒絶したいと言う感情が私を襲った。
私は私の家族が嫌いだから、憎いから、愛なんて感じたくなかったし、尊いなんて思いたくもなかった。
でも、感じてしまった。
祖父はアル中の自分の父親の写真をニコニコしながら懐かしそうに私に見せてくれた。
きっと当時は、こんな父親は嫌だ、こんな家族は嫌だ、別の家が良かった。
そう思ったこともあっただろう、今の私のように。
しかし今は孫に嬉しそうに昔の写真を見せてくれている。
祖父の中では、辛い日々は懐かしく尊い思い出に、笑い話になっているのだろう。
そう思うと、私は我儘なのだと思い知らされた。
我が家の家系は一般的な、どこにでもあるような家なのだと。
当たり前に苦しんで、当たり前に幸せに暮らしてきた、本当に当たり前にある家族なのだと。
子供の頃にあった嫌な思い出なんて、歳をとってしまえば子供に聞かせるのにちょうどいい他愛もない笑い話でしかなくなるのだと。
あれも良い思い出だったのだと。
私もいつかそう思いながら、自分の子や孫にニコニコしながら話す時が来るのだろうか。