家族じゃなかった。
私はお風呂に入るのがとても苦手で。
入るまでに心の準備が必要で。
だから、入らない日も何日か続く。
母親は「臭い」といつも注意する。
そんな日々が続いて嫌気がさしたのか、ある日から私の晩御飯だけ用意されなくなった。
LINEで「お風呂に入ってください、匂いが気になります。家族になら何をしてもいいんですか?」とメッセージが来た。
「家族になら何をしてもいいのか?」という文を見た時に私は母が憎いと思った。
お風呂に入らない私が悪いのは分かっている。
頑張れなくて申し訳ないと思ってる。
でも母からは言われたくなかった。
あなたは私に子供の頃から無神経な言葉を沢山言ってきたよね。
怒鳴れば言うことを聞くと思っていて、叩けば黙ると思っているよね。
ずっと、私はそれに耐えてきたのに。
貴方がそれを言うんだ。
そんな険悪な日々が続いて、2人で買い物に行った帰り道。
「早く用事済ませて、家族の晩御飯作らなくちゃいけないんだから」
そう言われた。
あぁ、その家族の中に私は入っていないんだろうな。
そう思った。
案の定その日も私のご飯は用意されていなかった。
私自身も生きるのが上手くないし、それに付き合わせて申し訳ないと思っている。
だからなのか、私の家族は私に欲しい言葉をくれない。
家族の愛が分からない。
■
最近ゴミが減っていている。
極度に減ってきている。
それはきっと、あの子たちのおかげなのだろう。
最近たくさんの人とたくさん話すことが増えた。
真剣な話や、たわいも無い話。
気兼ねなく言い合える相手もできた。
出来てしまった。
いつかあの子たちを傷つけるのではないかと、心配になる時がある。
私は簡単に人を傷つけるから。
でも楽しくて、描くことも書くことも、聞くことも話すことも、楽しくて。
頑張っているあの子たちの話を聞いていると、罪悪感に襲われる。
私は未だ留まっているままだから。
立ち止まって、ぬるま湯につかっているままだから。
未来を見すえ、頑張っている子達といると、自分が惨めでならない。
それは誰のせいか、他ならぬ私自身のせいだ。
自業自得と言うやつだ。
人の振り見て我が身を直さない、私の責任だ。
歴史を。
祖父が若い頃の写真を見せてもらった。
父方の祖父なので、自動的に子供の頃の父親の写真も眺めることになった。
祖父の父親はアルコール中毒だったそうだ。
祖父は自分の父親の写真を見つける度に「ほら、これがアル中」と、楽しそうに見せてくれた。
祖父はとても顔が良く、どの写真も祖父が写っているだけでとてもいい絵に見えるぐらいだった。
写真を見るのはとても楽しかった。
でもそれと同時に嫌な気分にもなった。
何気ない日常の風景や、成長の記録の写真を沢山見ていくうちに、人の人生とは、家族の歴史とは、とても尊いものだと感じたからだ。
写真の中に愛を感じた、人が生きていた証拠だった。
家族が共に生き、暮らしてきた証。
心が満たされるような優しい感覚を覚えた。
でもその感覚を拒絶したいと言う感情が私を襲った。
私は私の家族が嫌いだから、憎いから、愛なんて感じたくなかったし、尊いなんて思いたくもなかった。
でも、感じてしまった。
祖父はアル中の自分の父親の写真をニコニコしながら懐かしそうに私に見せてくれた。
きっと当時は、こんな父親は嫌だ、こんな家族は嫌だ、別の家が良かった。
そう思ったこともあっただろう、今の私のように。
しかし今は孫に嬉しそうに昔の写真を見せてくれている。
祖父の中では、辛い日々は懐かしく尊い思い出に、笑い話になっているのだろう。
そう思うと、私は我儘なのだと思い知らされた。
我が家の家系は一般的な、どこにでもあるような家なのだと。
当たり前に苦しんで、当たり前に幸せに暮らしてきた、本当に当たり前にある家族なのだと。
子供の頃にあった嫌な思い出なんて、歳をとってしまえば子供に聞かせるのにちょうどいい他愛もない笑い話でしかなくなるのだと。
あれも良い思い出だったのだと。
私もいつかそう思いながら、自分の子や孫にニコニコしながら話す時が来るのだろうか。
普通じゃないのは。
機会のモーター音が怖い。
全部じゃないけれど、エアコン買ってあげといて暖房つけるななんて言えない。
うるさいと言っても普通の人は全く気にならないだろう。
私にはきつい。
私のような人間には、恐怖でしかない。
理解してもらえれば嬉しいけれど、ワガママなだけにしか見えないと思う。
ダメなところではなく個性だとよく聞くし、私もそう思いたいけれど、こんな気分になるとそうは思えない。
私が1番目を逸らしているのかもしれない。
普通なら良かったって。
とても苦しい。
苦しくても、生きたい。
死にたいから自傷行為をするんじゃない。
生きたいからするんだ。
死にたい人に後は残らない。
生きるために痛みが必要だった。
少しの痛みで、もう少し生きられる。
狂ってるって自分でも分かってる。
でも、それでいいって今は思う。
そうまでしてでも、私達は生き続けたい。
うっかり死にたくなんてないんだよ。
お洒落ではないそれは。
指輪を増やすのは、足りないと思ったからか。
枷が足りないと。
増やさなくては、もっと。
私を縛る鎖を。
あの子を抑えておく枷を。
リストカットでもなく、タトゥーを入れる訳でもない。
ただ装飾品が増えるだけ。
そのうち足りないと感じるようになるとは思っていたけれど。
まぁ、そろそろって感じだったかな。
また一つ、枷を増やす。
もう少し。
なるべくして今があるんだな。
苦しかったし今も決して楽ではないけれど、それでも良かったな。
そう思えるってことは、まだ大丈夫。
まだ生きられる。
生きていたいと思える。